>浄土宗について >浄土宗の作法 京都・東山「吉水の庵」。浄土宗を開いた法然上人が、念仏往生の教えを人々に広めるために結んだ庵です。ここでの布教活動は、流罪となった晩年の数年間を除き、開宗の43歳から80歳で生涯を閉じるまでの長きにわたり、浄土宗の中心地となりました。現在の総本山知恩院が建つ地です。 そこには、多くの人々が法然上人を慕って集まってきました。教えを聞きにきた僧、さまざまな悩みをかかえた庶民、戦乱にあけくれて地獄行きを覚悟した武者たちです。 庶民や女性、殺生をした者には救いの道がないとした当時の仏教。そんななかで、みなが平等に救われるという法然上人の念仏往生の教えは人々に光明を与えました。そして、その中に、出家をして法然上人の教えをうける多くの弟子たちが生まれました。法然上人亡き後の浄土宗を支え、全国津々浦々にまでお念仏の教えを広めた弟子もいれば、師に先立って亡くなった弟子もいます。名前しか知られていない弟子も多いです。
建暦二年(1212)法然上人が、お亡くなりになる直前に、その弟子の一人である源智上人の要請により、書かれたものが『一枚起請文』です。 浄土宗の教えの要であるお念仏(称名念仏)の意味、心構え、態度について、とても簡潔に説明されています。 さらに、本文中に「両手印をもってす」とあるように、両手の判を押し、上人自身 が証明していらっしゃいます。 法然上人のお誓いの文章であることから「御誓言の書」とも呼ばれ、大本山金戒光明寺に大切に保存されています。
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